
火を放てばOKと思っていた「野焼き」がこんなにも大変とは想像していなかった。
国から北上川葦原の管理を任され、全国の寺社・仏閣の茅葺屋根を手掛けている熊谷産業が春の野焼きスケジュールに4日間を充てていたが、実現したのは最終日の4月9日。
作業は天気・特に風の条件頼みなので、予測が立たずメディアへの案内も控えている。
今年の野焼き会場は旧河北町側の中州、70年前は農閑期の牛馬の格好の牧草地だった一帯。朝方に親たちが牛馬を中州まで送り、帰りは子供達が引き取りに行くのが習わしだった。我々の方言でカウボーイならぬ「べごぼい(追い)」が子供の仕事だった。筆者の最初の記憶は5歳の時、夕方わが家の牛が牧草地から逃げ出し、一緒に迎えに行った9歳上の中学の兄が自転車であちこちを探し回り始め、ひとり、野原に置き去りにされた時だった。ただただ、大声で泣きじゃくったのを鮮明に覚えている。
昭和40年頃から、牛馬による農耕がトラクターやコンバインに取って変わり、放牧場は葦原に姿を変えた。この葦原を国から管理を任されたのが北上町の熊谷産業。
この日も5代目の熊谷社長が陣頭指揮を執り、ウガンダやモンゴルからの作業員3人を含め10人近くの作業員で東京ドームの4倍余りの20ヘクタールの野焼きを終えた。
この野焼きがないと2年もたたず、葦原は手の付けられない雑木林に変わってしまう。彼らは美しい地域の環境を守りながら、本気で「ヨシ原の世界遺産登録」を夢見ている。